南極から生還したタロとジロのその後|奇跡の生存理由と剥製の現在地
1959年1月14日、第3次南極地域観測隊が昭和基地に再上陸した際、白銀の世界でヘリコプターを出迎えた2頭のカラフト犬。前年にやむなく基地へ残され、生存は絶望視されていたタロとジロの奇跡の生還劇は、日本中を熱狂と感動の渦に巻き込みました。
極限の寒冷地で1年ものあいだ生き延びた彼らは、救出された後にどのような運命をたどったのでしょうか。兄弟犬の明暗を分けた結末、壮絶な生存のメカニズム、そして現在も語り継がれる剥製の安置場所まで、知られざる事実を詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:ジロは帰国叶わず南極で病死(享年5歳)、タロは日本へ帰国し北海道大学で14歳7ヶ月の大往生を遂げた
- 要点2:共食いを一切せず、アザラシの糞や海鳥、魚類などを自力で捕食してマイナス40度の極寒を耐え抜いた
- 要点3:剥製となったジロは東京・上野の「国立科学博物館」、タロは札幌の「北海道大学植物園」で今も大切に保管・展示されている
【置き去りの真相】なぜ15頭のカラフト犬は昭和基地に残されたのか
タロとジロを語るうえで避けて通れないのが、なぜ観測隊が愛犬たちを南極に置き去りにせざるを得なかったのかという背景です。1958年2月、第1次越冬隊から第2次越冬隊への交代期、南極周辺は記録的な悪天候に見舞われ、観測船「宗谷」は分厚い海氷に閉じ込められました。
救援に駆けつけた米国の砕氷艦バートン・アイランド号の支援を受けつつ、小型ヘリコプターで第1次隊員をピストン輸送するのが限界の状況でした。当初は「第2次隊がすぐに基地へ入る」前提だったため、犬たちは基地の支柱に首輪と鎖で繋がれたまま残されました。しかし天候は急変し、第2次越冬の全面断念が決定。犬たちの救出に向かう手段は完全に断たれてしまったのです。
【極限の生存理由】タロとジロはマイナス40度の南極で何を食べていたのか
基地に残された15頭のうち、第3次隊によって生存が確認されたのはタロとジロのわずか2頭でした。極夜が続き、気温がマイナス40度を下回る過酷な環境下で、彼らはどのように命をつないだのでしょうか。
最大の要因は、自力で鎖から抜け出したこと、そして過酷な食糧調達に成功した点にあります。基地に残されていた人間用の食料貯蔵庫は荒らされていませんでした。彼らは海氷の割れ目に集まるアザラシの糞(未消化の魚類や甲殻類を含み、貴重な栄養源となる)やペンギン、時には海氷に打ち上げられた魚などを捕食していたことが確認されています。
さらに特筆すべきは、繋がれたまま息絶えた仲間の遺体を一切口にしなかったという点です。強い仲間意識とカラフト犬特有の高い知性が、共食いを避けて過酷な狩りへと彼らを向かわせました。
【残された仲間たちの最後】首輪を外した犬とリーダー犬リキの悲劇
奇跡の生還の陰で、残る13頭の仲間たちにも過酷な現実が待ち受けていました。第3次隊が昭和基地に降り立った際、7頭は首輪に繋がれたまま冷たくなって発見されました。
首輪を自力で外して脱出に成功した犬は8頭(タロ、ジロ、リキ、アンコ、シロ、ジャック、デリ、風連のクマ)いましたが、タロとジロを除く6頭は消息を絶ちました。なかでも第1次越冬隊で最年長だったリーダー犬のリキは、幼かったタロとジロに狩りを教え、自らの食事を分け与えていた形跡が残されています。基地から少し離れた氷上で発見されたリキの亡骸は、弟分たちを守り抜いた末の力尽きた姿であったと伝えられています。
【ジロのその後】日本へ帰ることなく昭和基地で迎えた無念の最期
生還を果たしたタロとジロは、そのまま昭和基地に残り、第4次越冬隊のソリ犬として再び人間のために働き続けました。しかし、弟のジロに祖国の土を踏む日は訪れませんでした。
1960年7月9日、ジロは昭和基地で突然倒れ、5歳という若さで病死しました。死因は激しい内臓疾患(急性心不全または肝臓機能不全)とみられています。過酷な無人生活で酷使された肉体に、再び始まったソリ引きの重労働が限界を超えさせたと推測されています。日本中が待ち望んだ凱旋帰国は叶わず、ジロは生涯を南極の大地に捧げることとなりました。
【タロのその後】奇跡の帰国から北海道大学での穏やかな余生・死因
一方、兄のタロは第4次越冬隊の任務完了に伴い、1961年5月4日に3年半ぶりとなる念願の日本帰国を果たしました。羽田空港や東京港には数千人の群衆が押し寄せ、英雄の帰還を歓迎しました。
タロはその後、生まれ故郷である北海道の北海道大学植物園(北方生物圏フィールド科学センター)に引き取られました。広大な園内で手厚い看護と市民の愛情を受けながら余生を過ごし、1970年8月11日、老衰のため14歳7ヶ月で大往生を遂げました。大型のカラフト犬としては極めて長寿であり、人間で換算すれば80代後半に相当する天寿を全うした最期でした。
【剥製の現在地】上野の国立科学博物館と札幌の北海道大学で今も会える
激動の生涯を駆け抜けたタロとジロは、現在もその姿をとどめ、私たちに命の歴史を伝えています。
昭和基地で亡くなったジロの遺体は持ち帰られ、現在は東京都台東区の国立科学博物館(日本館2階)に常設展示されています。忠犬ハチ公の剥製と並んで展示されており、都内でいつでもその勇姿を見学することが可能です。
一方、札幌で天寿を全うしたタロの剥製は、余生を過ごした北海道大学植物園内の博物館本館に収蔵・展示されています。2000年代以降には特別展などで2頭の剥製が数十年ぶりに再会を果たすイベントも行われ、多くの来場者の涙を誘いました。
映画『南極物語』の実話と教訓|現代に受け継がれる命の尊厳
1983年に公開され、当時の日本映画歴代興行収入記録を塗り替えた高倉健主演の映画『南極物語』。この映画によってタロとジロの実話は世界中に知れ渡ることとなりました。
しかし、この出来事は美談だけで終わったわけではありません。観測隊員たちの苦悩や、人間の都合で極寒の地に置き去りにされた犬たちの悲劇は、動物愛護と命の責任という重い教訓を社会に突きつけました。現在、南極条約の環境保護に関する議定書により、生態系保護の観点から南極大陸への犬や外来生物の持ち込みは全面禁止されています。タロとジロの物語は、極地観測の歴史とともに、人間と動物のあり方を永遠に問い続けています。
【タロとジロのその後】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:タロとジロは血のつながった本当の兄弟だったのですか?
A1:はい、実の兄弟です。1955年10月に生まれたカラフト犬で、タロが兄、ジロが弟です。父親は名犬として知られた「クマ」というカラフト犬でした。
Q2:ジロの遺体はどうやって日本へ運ばれたのですか?
A2:ジロが昭和基地で病死した際、隊員たちによって基地の冷凍庫で大切に遺骨・遺体が保存され、その後の観測船によって日本へ持ち帰られて剥製処理が施されました。
Q3:なぜ現在、南極に犬を連れていくことができないのですか?
A3:1990年代に採択された南極条約の環境保護議定書により、ペンギンやアザラシなどの在来生態系に病気を感染させないため、すべての外来種(犬を含む)の持ち込みが厳しく禁じられているためです。
まとめ:過酷な運命を駆け抜けた兄弟犬が遺したメッセージ
南極という極限の大地で奇跡の生還を果たし、異なる最期を迎えたタロとジロ。昭和基地に骨を埋めたジロの無念と、祖国で穏やかな余生を全うしたタロの生涯は、今も剥製を通じて色褪せることなく人々の胸を打ち続けています。
彼らが残した足跡は、単なる歴史の1ページにとどまらず、生命の強靭さと人間が背負うべき責任の重さを、これからも静かに語り継いでいくはずです。 (出典: タロ と ジロ その後(Yahoo!ニュース))